アメリカ生活「選べる」私になるために もっと詳しく

“You can’t cry ‘Wicked’ on my birthday.” (自分の大事な瞬間に、他人なんて関係ない)

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突然ですが、

「 Leave it to me. I’ll do it.(任せとけ、俺がやる)」

パートナーにそう言われたことはありますか?

私はあります。何回も。

アメリカ在住なんていうと聞こえはいいけど、実際生活は地味でキラキラなんてしてない。インスタの?あれは1番いいキラキラの切り取り。国際結婚・駐在、留学帯同、いろんな理由でアメリカ生活をしている人、きっと言わないだけでみんなそう。

そもそも日本以外の国で暮らすということ、それはそれ相応の手続き、時間、労力、お金を払ってアメリカでVISAを取って生活するということ。留学や就職で、自分で決めたなら、腹括ってやるしかない、全部自分の責任。かつての私もそうだった。

でもこれが夫婦となるとどちらかがリーダーシップを取っていくことになる。

「英語が母国語/得意な彼」

ということが、初めは頼もしく思う。ありがたく思う。惚れなおしちゃう。『私、アメリカ人の妻なのね!』『これがアメリカか!なんでも大きいなぁ〜』って、浮かれた観光気分が抜ける数ヶ月後。

コーヒーだって注文できない。何言ってるかわからないから、電話もできない。車も運転できないから、買い物も1人で行けない。

分からない、わからない、ワカラナイ。

言葉通り、彼なしでは生きていけないという状況に陥る。

だから、いつからかそれが、
「英語が母国語でない/不得意な私」

として自分へ跳ね返ってくる。
今まで紡いできた私の価値観を、肯定感を、紡いできた人生そのものがガラガラとぶっ壊れていく。私は何て無力なんだろう。

ここでとどまって、妻+専業主婦として全うできる日本人妻も多い。そこに幸せを見出せるなら、最高だろう。きっと9割がそう。でも私はその他の1割だった。全然幸せじゃなかった。

一日中子供とだけ話して終わるのが辛い。

キラキラ見える外の世界は甘くなかった

思い切って子供を預けて働いてみた。言葉が分からなくてもできるから、ってだけの理由でレストランの仕込みバイトを始める。あっという間に半年でレストランのマネージャーに起用される。そこから4年働いて、次男を妊娠。つわりが酷すぎて、10キロ減。

絶対に絶対に座り仕事がいい、(なんならピッとIDでオフィスに入るような職場がカッコイイ)と決まった転職先は、警察署の記録課。

あら、アメリカで公務員だ。日本では公務員になれる気がしないが、安定感は抜群。夫は元々警察官だったので、夫婦で警察署勤めは、うちの親も大喜びだった。

でも蓋を開ければ、全然「思ってたんとちゃう。」

公務員の安定職+現代と言ってもね、まだまだ差別あるのよ。だって職場で唯一のアジア人。

「アジア人の言ってることはわからない」
「チャイニーズのアクセントは強すぎる」
「話にならん上司だせ」
「カミカゼー」

田舎であれば特に露骨。というか、そもそも論、警察署に来る人はバツアリだから。まともな人はそもそも警察署に用はない。そんなわけで気持ち的には、毎日刀を背負って、『いざ戦じゃ!』と仕事へ行っていた。


「おかえり」「行ってきます」
朝6時に帰宅する夫、家を出る私と子供。


「ただいま」「いってらっしゃい」
夕方6時に帰宅する私と子供、家を出る夫。

夜勤の夫と日勤の私で、完全にすれ違い生活+ワンオペ。しんどかった、ただただしんどかった。

頼りになる身内も近くにいない。絶対に頼れない、自分が体調を崩しても、誰かが体調を崩しても、どのピースも少しもズレてはいけないワンオペ綱渡りの日々。

コロナが来た

初めインフルエンザの新しい形だろうと舐めていた職場のボスも、みるみる感染者が増え、刑務所からは「感染するからホームレスは逮捕するな」「万引きとか軽度の罪は感染したらまずいから見逃せ」などと、うちうちにお達しが来るほどになった。

逮捕書類を処理するのが私の仕事だったので、一気に暇になった。誰も逮捕されないし、人から犯罪者が消えた。交通事故もなし。増えるのは、今まで外にいた犯罪者がステイホームになった副作用、そう、家庭内暴力の件数のみだ。

「あー、暇。」

でも守秘義務+機密情報だから毎日毎日職場にはすることがなくても行かなければいけない。することなんて何もないのに、意地悪お局さんの機嫌取り、面白くもない昔話を聞くだけ。

当時、子供たちは1歳と6歳。イヤイヤもいうし、男の子っつーもんは、私の想像を遥かに超えて、エネルギーはトップアスリート並。どうにか疲れさそうと公園に連れていっても、疲れるのは私だけ。彼らは帰りの車で10分寝るとフルチャージなのだ。

毎日怪我なく生きているだけで精一杯。
日々疲弊していった。

毎日が私がこんなに必死に子供と自分を生きているのに、夫はいない。どこかの名前も顔も知らない誰かを守るために今日も出かけていくんだ。仕事だからしょうがないと言い聞かすが、なんだか虚しい。

私も911をしたら、彼が助けに来てくれるんだろうか?

もう無理、いろいろ全部限界だった。

そんな中、義理の父が亡くなった。

身内が死ぬって本当に大変。手続きとか書類とか、日常会話では使わないような英語ばかり。私には、さっぱりわからない。夫も、義父とよく話していたわけではないので、何があるのかも分からない。渡米から6年間の同居はしていたが、正直なところ、同居していたゆえに、関係性も煮詰まっていたという部分もあった。

だから、当然のことながら、もろもろのパスワードも分かるわけがない。銀行も凍結される、遺品はそのまま山盛り、こちらの片付け。もちろん5歳の長男、1歳の次男との通常の生活も回していかなければならない。(はぁ、死人に口無しなのところ、いうのは憚られるが、これまでの精神的な負担に重ねて、なんでここまで私たちに苦労がかかるんだと。迷惑だと思ってしまった。)

悲しいながらも事務作業を機械的に進める夫を見て言った。

「何か手伝えることはある?」
思いやりから声をかけたつもりだった。

「 Leave it to me. I’ll do it.(任せとけ、俺がやる)」

しかも、

「Even if I explain to you, you can’t understand. Its westing my time.(君には説明しても分かんないだろうから、説明するのも時間の無駄。)」

(え?????
 何言ってんの???)

『でも待て、もし今この人が死んだら、
 私は1人でこれをやるのか?』

(夫は見た目The 白人、名前もThe 白人。ちょうどブラックライフマターの時期で白人警察官というだけでターゲットになる可能性があったのだ。)

『子供たちは英語しか分からない、
 ということは日本には帰れない。』

(…え、無理。無理無理無理無理!)

急に怖くなった。そっから猛烈に調べた。私が1人で生きていくには何がいるんだ?日本には帰れない、子供を守らねば、、え、でも分からん、分からないことが分からない。

突然降ってきた新たな転機

そんな時、帰宅途中に聞いていたポッドキャストで「アメリカでお金の資格を取った」という話を聞いた。藁をすがる想いでポッドキャスターの問い合わせフォームへ連絡し、猛勉強し資格を取った。そこからこの人に言われた通りに2年、盲目的に走っていた。

知れば知るほど、アメリカ生活で本当に損していたことばっかりだったり、「説明するのも時間の無駄」って言われていたあの頃より夫婦対等に話ができる。何なら彼の知らないことだってわかるようになってきた。(なんせこちら真面目な日本人!勉強得意!)

それに元々話すのが好き、日本で教員をしていた私には、難しいことを分かりやすく噛み砕いて話す、図にする、プレゼンする、セミナーや個別面談はまさに楽しいでしかない、これが仕事なんて、天職では?と思うほどいきいきと日々過ごすことができた。

もちろん、この時は、未だ副業としてであったが、私はただただ人に感謝されることに飢えていた。

日本人、アジア人であることをやんや言われ、『ネイティブだったら言い返せたのだろうか?馬鹿にされないのだろうか?』と葛藤の毎日の中、アメリカで日本語が話せること・日本人であることが初めて嬉しいと思った瞬間だった。初めて日本人であることに誇りを持てたことだった。

ただ私のメンターが熱心に教えてくれたのは、MLMの生命保険販売業。「とにかくやれ、君のためだから!がんばれ!」と言われ続け、コンベンションと言われるイベントに参加した時にはこりゃ何かの新興宗教か?と。

やっと3年目、ようやくおかしい、、、と自分でもわかっていた。きっと本当は初めから気づいていた。それでもやめることができずさらに1年が過ぎた。

情報弱者はこうやって搾取されていくんだと。夫には当初から「MLMだから、やめろ。君の努力は全て搾取されている」と散々反対され続けた。でも自分の信じたものを批判されたくないと逆ギレ。

今思えばアホすぎる。でも必死だった。

子供を預けて、初めてのパートで、ひたすら野菜を切って仕込みの手伝いをしていたあの時から、私はずっと自分を取り戻すために、必死に生きてきたんだ。

テイカーのメンターから完全に目が覚めた後、一人でやってはみたものの、どうにもこうにもうまく行かず、夫にも愛想尽かされる寸前だった。でも話すのは好きだし、インスタも好き。だけど光が見えない。このままじゃ終われないし、どうすりゃいいんだ。

このままじゃ終われない

悩み悩んだ挙句、これを全てネタとして、アメリカ生活を送る誰かの「生きていく糧」として役に立たないだろうか。

届けたい誰かに届くように、リールを撮ってみた。カメラロールに並ぶ自分、自分、自分。

キモい。恥ずい。

それを編集するんだから、
さらにキモい。恥ずい。

ただ忘れもしない、4月28日。

初めてのトークリールを出してから、毎日投稿6ヶ月。180本近く。さすがにこんだけやれば見えてくるものはある。

寄せられるコメント、DMの数々、この反応を見て、自分が今まで無料で出していた情報は無料じゃないと想いが確信に変わっていった。

届けたい人に届いているかもしれない。

今まで保険でしか解決策はないと思い込まされていたけれど、金融商品や選択肢なんて山のようにあるし、それを自分で選べる方がよっぽど大事じゃないか!それこそ地に足ついたアメリカ生活。

届けたいメッセージ、人生の棚卸しをしていく、深掘りをしていくごとに自分の軸が固まっていくのを感じた。

そしてついに講座開始。

当初10人来てくれたら嬉しいと思っていたのに、蓋を開けたら23名!泣いた。私のアメリカ生活の悔しかった、やるせなかった10年が届けたい誰かに届いたという実感だった。

自分はきっと変わってない。でも身を置く環境で自分の価値を再認識できたのは私の人生において大きなキーポイント。

ただ逆も然り。

環境が変わろうとも、
あなたの価値は毀損されない。

これが私が伝えたいメッセージ。

アメリカに来た瞬間、“自分が大人じゃなくなる感覚”を味わう人は本当に多い。

制度はわからない、英語も自信がない。
家計も教育資金も老後も夫に任せきり。

“夫に任せておけば安心”って思ってるくせに
「 Leave it to me. I’ll do it.(任せとけ、俺がやる)」
で終わられると「え?」ってなる。

だって、こちらからすると「で、どうしてそうしたの?」「選択肢は他になかったの?」って説明を聞きたくなる。

え?そうだよね?

でも質問したいのに、否定されるのが怖い。
「どーせ何にもわかってないくせに」と思われるのが嫌。思い知らされるのはもっと嫌。

だから、ふとしたタイミングで
「私って何?子ども?家政婦?」
そんな感覚に押しつぶされていく。

でも、夫に全て任せる人生のままでは、やっぱり対等には戻れない。知らず知らずのうちに怒られないように黙る癖がついちゃって、“私としての意見”が消えていく。

自己啓発本にあるような

「どーせ私には」なんて言わない!

なんてわかってる。そんなこと言いたい人なんて誰もいない。でも思わずそういう思考回路になってしまうこのアメリカ生活。

日本ではなんでもできたのに、アメリカ生活で夫婦のパワーバランスというのは本当に脆く崩れやすい。

私は、その負のスパイラルを壊したい。

“Don’t let them call you wicked on your own day.”


タイトルの
“Don’t let them call you wicked on your own day.”
これは直訳すると(自分の大事な瞬間に、他人の偏見に支配されるな)

“誕生日”が自分の大事な瞬間、人生のタイミングを象徴であり、“call you wicked”=他人の偏見・レッテルを指し、自分の価値観・行動を貫く反逆心をコンパクトに表現しているWickedの代表的なセリフ。

私は “自分の大事な瞬間に、他人なんて関係ない”と訳したのは、SNSや周りが「そんなこと考えなくていい」「この投資するべき」「教育資金はこれ」「絶対にこれが正解」なんて言っていても、自分に合った選択を自分で判断できる力をつける。

言い換えると、このセリフは 『他人に決められない、自分で選ぶ勇気』 の象徴であり、私自身が伝えたいテーマそのものなのだ。

正直なところ、私だってそんなお金のことなんて考えたくないし、元々金融の知識があったわけじゃない。でも、アメリカ生活でお金の知識って、ただの知識じゃない。

それは、異国でも<自分>を取り戻すためのライフスキル。もっと言ってしまえば、いちばん手っ取り早い武器になる。

「私はこうしたい。だって〇〇だから。
 それが私/私たちにとってベスト。」

分かっている自分、自分の中で判断軸を持つための最低限の知識を伝えていくこと。「選べる自分」になるサポートをしていきたい。

アメリカ生活、強く、賢く、いい意味で泥臭く、地に足つけて生きていこうじゃないか。

You are enough. You just need some tips to live.

届けたいあなたに、届きますように。

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この記事を書いた人

国際結婚15年目、フロリダ在住。二人の男の子ママ。
人一倍感受性強く、好奇心旺盛。でも気にしいで疲れやすいHSP(繊細さん。)
まったくキラキラしていないアメリカ生活で一旦粉々になった自己肯定感。それでも地に足つけて、泥臭く、アメリカでも「自分」を取り戻していくプロセスとその中で得たアメリカ生活のお金の知識(=ライフスキル)をお話ししています。

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